ピアノやヴァイオリン、ソルフェージュを通じて、考える力もつけよう
大学を卒業して社会人になって、気づいたことがあります。
2. 卒業してからも成長が続く人もいれば、卒業した途端に伸び悩む人もいる。
同じ頃、生徒さんにレッスンをしていて、気づいたことがあります。
そしてある日、私の中で、この2つが結びついたのです。
習い上手で終わる人を育ててもしょうがない。
多少遠回りでも、自分の頭で考えられる人を育てたい。
私のレッスン方針が固まった瞬間でした。
習い上手はマイナスではないけれど・・・
習い上手なことは、別にマイナスではありません。
レッスンで習ったことを確実に身につけるべく、次のレッスンで同じ注意をされないよう、 意識を向けて練習に取り組む のですから、漫然と弾いている人よりも、早い上達が見込めます。
先生の側からすると、おそらく、習い上手な子=手のかからない生徒に分類されます。
でも、それで終わっていいのでしょうか?
旧来の学校の勉強のように、正解が一つしかない分野なら、これでいいのかもしれない。
(リズムや音など明らかな譜読みの間違いは、正解が一つしかない分野に当てはまるかもしれませんが…)
でも、音楽は違います。
譜読みの先にある表現の部分には、正解が無数にあります。
先生に言われた通り弾いていれば、そこそこ評価される演奏には仕上がるかもしれません。
でも、残念ながら、その人の意思が見えない演奏になりがちです。
なんて言うか、その人が演奏する必然性を感じない演奏とでも言いましょうか・・・。
習い上手なのは何も悪くありません。
習い上手で終わってしまうのが残念なのです。
語弊のある言い方をすると、 習い上手で終わる=思考停止状態 と言えるかもしれません。
↑こう思えたあなたは大丈夫。
自分で考えていない状態だと気づいた=思考停止を脱出できる兆しがあるということです。
人間、些細なきっかけで変われるものです。
自分の状態に気付けた人は、一段階上に進めます。
気付けない人は、残念ながら、習い上手なまま終わっていくのかもしれません。
考える力があれば
レッスンをする側になって、気づいたことがあります。
教え込まれたことよりも、自分で気付いたことのほうが、記憶に残る。
実際私も、実体験を伴った記憶は、深く残っています。
算数や数学では、途中の計算式を書くことも、大事なプロセスですよね。
答えが合っていても、「なぜそうなるのか」がわかってないと、結局、表面的な知識しか残らないのです。
ソルフェージュのレッスンでも(特に聴音の書き取り)、やたら答えだけを知りたがる子供さんがいます。
世の中、点数や数値で成果を表せるものばかりではないのに、わかりやすい目先の数字(=テストの点数)だけにとらわれている大人の影響のようにも思えます。
話は戻りますが、音楽だって、答えだけ知っても何も学びはありません。
なぜそうなるのか(=仕組み)を正しく理解しない限り、他の場所や曲へ応用するのは難しいのではないでしょうか。
ヒントはたくさん出しますよ♥
例え時間がかかっても、その日1問しかできなかったとしても、じっくり考えることに時間を割きます。
その1問を解く過程に、とんでもない量の学びがあるからです。
この指導法を続けていて感じることは、成長に大きく影響するのは、途中のプロセスに興味を持てるかどうか、ということ。
教育って、長い目で見て初めて、成長が目に見えてくるモノではないでしょうか?
考える力は一生モノです。
回り道してでも、身につける価値のあるモノだと思うのです。
考える力をつけるソルフェージュ・ヴァイオリンレッスン
世の中、考えられないスピードで、技術が進歩しています。
買い物は、わざわざ店に足を運ばなくても、1クリックでモノを買えるようになりました。
電車やバスに乗る時、いちいち料金表を見なくても、カードやスマホをタッチすれば勝手にお金が引かれる仕組みになりました。
人間がやっていた仕事が、機械に取って代わられていく時代です。
ある意味、習い上手で終わる人=指示した通りに動く機械、と言えなくもない気がします(ちょっと言い過ぎ?)。
なにはともあれ。
考える力=これからの世の中を生きるために必要不可欠な能力です。
どんな業界に生きるとしても、 考える力は、無いよりもあったほうが重宝される のではないでしょうか?
考える力を育むレッスン、受けてみませんか。
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