それ、本当にコンマスのソロ?ブラームス交響曲第1番・第2楽章をめぐる違和感
ブラームスの交響曲第1番、第2楽章の後半で、いわゆる「コンサートマスターのソロ」と呼ばれる箇所があります。
でも、楽譜を見ていると、その呼び方にどうしても違和感あるんですよね…。
そこに書かれているのは、決して派手な独奏では無いし、協奏曲的な「主役の登場」でも無い。
オーボエ+ホルン+コンサートマスターによる、きわめて内省的な三重奏です。
実は今週末、この曲でコンサートマスターを務めることになっています♪
だからこそ、「ソロだから思い切って」と言われるたびに、どう返事をすればいいのか、少しだけ困ってます。
記事中にちょこちょこ譜例を入れておりますが、ご興味ある方はぜひお手元にスコアもご用意ください♪
本当に「ソロ」なのか?
この部分を「コンマスのソロ」と捉える考え方は、どの程度一般的なのでしょうか?
少なくとも、オーケストレーションを見る限り、ここがヴァイオリンの独奏として強調される場面だとは、私にはあまり思えません。

スコアには「Violin Solo」、パート譜には「Solo」と書かれていますが、これは1stヴァイオリンパート内での区別を示すもののように見えます。


主旋律は、1番オーボエ、1番ホルン、そしてコンサートマスターの3人が同時に奏でます。
「誰かが目立ち、他の楽器は伴奏」という構図ではなく、
音域も音色も異なる三つの声が、互いにバランスを保ちながら存在しています。

楽譜は、そこまで主役を主張していない
この箇所が「コンマスのソロ」と思われやすい理由の一つには、視覚的な要因もあるのでしょう。

コンマスはステージ前方にいるからね。
ただ、先ほども述べたように、ヴァイオリンだけが特別扱いされている様子は、音符からは感じられません。
むしろ、「勝手に目立たないで!」と言われているようにさえ感じることがあります。

冷静に楽譜を見るとなかなか高音域で聞こえやすい分、どうしても目立っちゃうかな。
コンマスだけが弾いている場所は、実はわずか
この記事を書くにあたって「コンサートマスターだけが主旋律を弾く場所、あったっけ?」と思って、改めて楽譜を見直してみたんですが…
強いて言うなら、最後の小節線をまたぐ時だけ。

コンマスのソロを徹底分析
コンマスに与えられたソロは、大雑把に5つのセクションに分けることができます。(ここの譜例はHenle版スコアを元に自作)





そうなんです。
たいていの場面で、誰かと同じことをやっています。
「ここからここまでがソロです」と明確に線を引けるような書法ではありません。
交響曲という大きな構造の中の、一つのパーツとして役割が与えられているように見えます。
協奏曲的なソロと、交響曲の中の役割は違う
協奏曲におけるソロは、「ここはソロの聴かせどころ」「ここはオケのほうがメイン」といった感じで作られていることがほとんどです。

ソリストVSオーケストラの構図に見えるから、間違えて「競争曲」って書かれる時もあるよ。
しかしこの楽章に、そのような構図は見られません。
コンサートマスターが奏でるよう指示された音楽も、あくまで交響曲の流れの中に置かれた一要素として存在するもの。
そのため私は、この部分を「ヴァイオリンのソロが登場する場面」では無く、「三声がオーケストラ全体に溶け合うことで成立する音楽」として捉えたいと感じています。
陰キャな音楽に、陽キャな弾き方は似合わない
そもそもブラームスの音楽って、「陽キャ」か「陰キャ」かで言ったら、
どう転んでも
明らかに陰キャですよね。

感情を大きく外へ表出させるのでは無く、どちらかと言うと内側に抱え込み、静かに燃え続けるタイプの音楽だと思います。

“espressivo"(表情豊かに)とは書いてありますが、大っぴらに外に向けてアピールする感じじゃなく、やはり内向きな方面の表現かと。
だからこそ、
「ここはソロだから思い切って弾いちゃってくださいよ〜」と言われるたびに、少しだけ居心地の悪さを覚えるんでしょうね。
自己主張を強めた瞬間に、音楽そのものの質感が変わって、ブラームスで無くなってしまう気がします。
この場所で求められているのは、輝くことよりも、溶け込むこと。
前に出る勇気よりも、引く判断ではないでしょうか。
だから私は、派手に弾かない
今週末はこの曲でコンサートマスターを務める予定があるんですが、
私はこの箇所を、「聴かせるソロ」としてではなく、「音楽を構成する一要素として」「音楽全体の均衡を支える役割」として弾きたいと思っています。
派手に弾かないという選択は、消極的な判断ではなく、一つの演奏解釈です。

なので、アンケートとか感想ブログで「なぜもっと派手に弾かないのだろうか。あそこは聴かせどころなのに。あのコンマスは何もわかってなくてけしからん。なんと消極的なヴァイオリニストなのだろう」的なことを匿名で書かれても、別に構わないです。笑
そして万が一、コンサートが終わってからこのブログに辿り着いたお客様がいらっしゃいましたら。
そういう信念と根拠に基づいた表現ですので、ご納得いただければ幸いです。
おわりに:目立たないという解釈
目立たない演奏は、時に評価されにくいものです。
ヴァイオリンという楽器の派手さ、華麗さが、それを後押ししているかもしれません。
しかし、人間に様々な側面があるように、作曲家は、その曲のその奏者(パート)に、何らかの意図を持って、役割を与えています。
もちろん、その役割をどう引き受けるかは、(楽譜を隅々まで読み込んだ上で、という条件下のもと)演奏者の解釈です。
少なくとも私にとって、ブラームス交響曲第1番第2楽章のこの箇所は、「コンマスが輝く場面」ではありません。
とても繊細にバランスが保たれた音楽だと思っています。
その均衡を壊さぬように、作曲家から与えられた役割を引き受けること。
私にとっては、それが最も意志的な選択です。
コンマスが意図的に派手に弾かないブラ1が聴けるのは、こちらの演奏会です!
2025年12月21日(日)スターツおおたかの森ホール(千葉県流山市)にて14時から!

千葉県流山市のヴァイオリン・ソルフェージュ教室ホームページはこちらから。
基礎から丁寧に学び、音楽を人生の友にすることをサポートします。オンラインレッスンあり。
ソルフェージュ・ヴァイオリン・オンラインレッスンの詳細にジャンプします。

ソルフェージュの先生、ヴァイオリンの先生、時々オーケストラと室内楽。
ヴァイオリン弾きのソルフェージュ講師はわりと珍しいようです。指導経験は延べ100人以上。茨城県立水戸第三高等学校音楽科、Y. A. ミュージックアカデミー等で指導にあたる。都立芸術高校・東京藝大をヴァイオリンで卒業後、東京藝大院修士ソルフェージュ専攻を修了。
「音大受験の1科目」としてのソルフェージュではなく、実際の演奏に結び付くもの、音楽をより楽しめるものを目指しています。あらゆる楽器の生徒さんに対応していますが、得意とするのはヴァイオリンをはじめとする弦楽器。ヴァイオリンを学ぶ人に必要かつ不足しがちなことを、自身の実体験をふまえてレッスンしています。
各種レッスン受付中!詳細は下記をクリック!













